コマーロム市

Komárom-Komárno


身近なところなので紹介したいのです・・・・

ハンガリー側から撮った写真で、町の歴史的中心はスロバキア川で、聖Andras教会の近辺です。教会の二つの塔は写真の左側に見えます。

1918年、チェコスロバーキア誕生によってドナウ川が自然国境になり川の両岸に位置しているコマーロムが二つに分かれます。南はハンガリーで名前はコマーロムのままです、北はチェコスロバーキアで名前はコマールノになりました。1982年に作られたきれいなエリザベート橋でつながっています。

コマーロムの色々な名前:

ハンガリー側の町の名前:コマーロム-Komárom又は南コマーロム Dél-Komárom

スロバキア側の町の名前:コマールノ-Komarno、又は北コマーロムÉszak-Komárom, Öregkomárom, Révkomárom

スロバーキア側のコマールノの人口は3万7千人で、Vag側川がドナウ川に流れ込む平地に位置しています。

コマーロム城は中欧の一番大うきなお城です。ハンガリーとスロバキアはお城を世界遺産のリストに乗せる努力をしています。90年代まではソ連軍の基地だったからとても傷んでしまい現在は一部しか見学出来ません。

http://www.pinterest.com/tothakira/komárom/ 

次の文章は私が数年前に書いたエッセーです。関西ハンガリー交流協会のThe Bulletinに載ったものです。

Komarom.hu又はKomarno.sk
どっちで検索しても同じページが出て来ます。同じ旗と同じ紋章ともちろん同じ過去のある二つの町のホームページのスタートページも一緒です。こんにちの共通点は幸いなことにこれだけではありません。
世界は川を挟んで二つに分かれている町はいくつかありますがハンガリーのコマーロムの場合はドナウ川は然国境なのです。商業と農業のお陰で18世紀の初めまでにハンガリーの五番目の町になりましたがハブスブルグの歴史でも重要な役割があってナポレオンがウィーンを占領するためフランツI.皇帝が宮廷とともにコマーロムにある中部ヨーロッパ最大の軍事施設に逃げてきます。(ハンガリーとスロバキアはお城を世界遺産のリストに乗せる努力をしています。90年代まではソ連軍の基地だったからとても傷んでしまい現在は一部しか見学出来ません。)
1919年の一月、チェコスロバーキア軍が町に入り川の両岸に位置しているコマーロムが二つに分かれます。南はハンガリーで名前はコマーロムのままです、北はチェコスロバーキアで名前はコマールノになりました。
そして今21世紀はどうなっていますか。ワイフの家族のほうでも身近なところになっていますので紹介したいと思いました。
この町はブダペストから西のほうへちょうど100㎞です、ウィーン行きの高速を降りてすぐで電車でも1時間半以内に着きます。
実は歴史的中心は北のほうのスロバキア領土になってしまい南は、現在のハンガリーコマーロムは1896年まで別の名前で別の町でした。コマーロム市の色々な名前があって人によって、話の内容によって、政治によってその使い方が違います。
ハンガリー側の町の名前:コマーロム-Komárom(正式名)又は南コマーロム(Dél-Komárom)
スロバキア側の町の名前:コマールノ-Komarno(正式名)、又は北コマーロム(Észak-Komárom), Öregkomárom(古コマーロムと言う意味), Révkomárom(ハンガリーで使われているスロバキアのコマールノの正式名、直訳はフェリー乗り場のあるコマーロム、コマーロム桟橋です)北と南はハンガリーの古き良き時代、1982年に作られたきれいなエリザベート橋で繋がっています。
スロバーキア側のコマールノの人口は3万7千人で、ハンガリー側のコマーロムの人口は2万人です。ドナウの左岸の町は歴史的な建築物が多く、ハンガリー語の劇場やスロバキアの唯一のハンガリー語の大学などがある南スロバキアのハンガリー人の中心地で、川の右岸のコマーロムは若い町並みできれいな公園がいっぱいあって大きな工業団地もある(世界のNokiaの工場も入っている)地方都市です。
そう言えばNokia関係の国際結婚も多くなりました、生産工場の製造ラインで働いているのは若者が圧倒的に多く特にスロバキア側から毎朝工場のバスで国境越えする作業者がいっぱいいます。(通勤時間には数十台のバスが川を渡ります)大半はハンガリーのルーツのあるスロバキア人で時々給料のほかに奥さんもハンガリーからもらって来ます。そして若い奥さんはスロバキア側に住み着き子供が生まれたら仕事も止め、外人として暮らし始めます。しばらくしたら家庭教師を雇ってスロバキア語を勉強し一般市民のレベルの国際交流の一例になります。最近は市のレベルの交流も・・・両市の行政、NGOなどの幅広い交流もかんじます。
国境を越える協力プログラムがあって去年の11・12月には未来ワークショップを行い生活のすべての面の専門家の別々の会議がありました。それぞれの分野のやるべき3・4点を決め実施する準備が始まりました。たとえば・・・・・
元税関所の建物でインフォ・ポイントを作ること、市民のための法的、就職関係そして社会福祉関係のカウンセリングを行う予定です。
コマーロムのスーパーマン、美術・芸術・スポーツの子供のためのコンテストを行う予定
共同の楽団と合唱団を組織すること
Web・ターミナルのネットワークを作ること(両市の情報で・・・)
祭りやフェスティバールを一緒に行うこと
それぞれの町の地元テレビ番組を交換すること
芝居を見てみたい南の人は北のほうにある劇場に行っています。北のほうで子供の数が増え高校がクラスが言いっぱいになり入れなかった子のために南コマーロムで違う国の高校でクラスが組織されたと言うすばらしい一例もありました。
やっと21世紀で自由がやってきました。ここはEUです。こう言うEUがほしいです。

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